嶺上の桜雲

読書・デレステ・自己その他に関する日常的な思索など

ジェイン・オースティン『自負と偏見』感想

 

自負と偏見 (新潮文庫)

自負と偏見 (新潮文庫)

 

 

 5人姉妹のベネット家は男子の跡継ぎがいないために家屋敷を相続できず、主人公の次女・エリザベスの母であるミセス・ベネットは娘たちを早く結婚させようと躍起になっていた。そこにジェントリの好青年・ビングリーが彼の姉妹や友人・ダーシーと共にベネット家近くの屋敷に引っ越し、これを好機と見なした近隣の住民も加わって舞踏会が開かれる。長女・ジェインはビングリーと意気投合するが、ダーシーから密かに好意を寄せられたエリザベスは彼の高慢さを嫌うのだった。

 

 その後紆余曲折を経てエリザベスはダーシーからの予期せぬ求婚を拒絶するが、翌日に彼から手渡された手紙を読んで自身の彼に対する偏見を自覚する。更に叔父夫婦と一緒に訪れたダーシーの屋敷では偶然彼と出くわし、当初エリザベスが抱いていた嫌悪は徐々に好意へと変化した。その直後に五女・リディアが義勇軍の将校・ウィッカムと駆け落ちした旨の報せが届くも、その後始末を陰でダーシーがほぼ全て請け負ったことをリディアの失言から知ったエリザベスは、認めまいとしていた彼への好意を確信するに至る。

 

 それ以前にダーシーの策略でジェインと引き離されていたビングリーはようやく彼女との婚約が成立し、エリザベスもダーシーからの再度の求婚を受け入れるのだった。個人的にはこの本のタイトルは『高慢と偏見』の方がしっくりくるのだが、原題のPride and Prejudiceの"Pride"には自分の想像以上に訳しにくい面があるものと解釈したい。600ページ以上の長編ではあるが、基本的には読みやすい文章なので読了は然程苦労しないと思われる(ただ後述の要素により読むのが苦痛になる人は一定数いるだろうか)。

 

 まず全体を通してやたらと目に付くのが、ミセス・ベネットを始めとする一部キャラクターの愚かしさである。ミセス・ベネットやリディアは無知で自己中心的な上に騒がしく、これでは夫のミスター・ベネットやダーシーが嫌になるのもよく分かる。一方で三女のメアリーやベネット家の屋敷の相続権を持つ牧師・コリンズは、発言自体は馬鹿丁寧ではあるものの内容が薄く、こちらも裏に自己中心的な考えがじわりと滲んでいるのだ。正直なところ、こんな面子と付き合っているエリザベスや彼女の親友・シャーロットの精神力には本当に恐れ入る。

 

 とここまでは散々な書きっぷりだが、上記も含めて本作の描写にはかなりのリアリティがあるため、初読時はさておき再読した今では名作の評価も納得である。しかし今回もこれはどうなのかと思わざるを得なかったのが、中盤にあたる第四十三章の冒頭だ。叔父夫婦と旅行に来たエリザベスがペンバリーにあるダーシーの屋敷に行くのを躊躇うものの、彼が帰って来ないことを知り渋々承諾した直後の場面である。

  ペンバリーの森が姿を現すのを馬車の中から見たエリザベスは、軽い胸騒ぎを覚えた。門番小屋の前で曲がっていよいよ敷地に入ったときには、心は激しくわなないていた。(中略)エリザベスは会話などしていられる気分ではなかったが、次々に眼に入る美しい眺めにはことごとく感銘を受けた。(中略)エリザベスは感激した。これほどまでに自然の良き力が感じられる場所、自然の美が下手な趣向でいじくり回されていない場所を見るのは初めてだ。三人はみな、言葉を極めて周囲の風景を称えた。ふと、エリザベスの心をこんな考えがよぎった――ペンバリーの女主人になるというのは、なかなか大したことなのかも!

 中略部分も含めて、引用部はわずか1ページちょっとに過ぎない。いくらダーシーの屋敷が風光明媚な景色を誇るとはいえ、そのたった1ページちょっとの間に彼の妻になる欲を出すのは流石に唐突過ぎやしないだろうか。そもそもエリザベス自身は行く直前で「いちばん怖いのは、案内されている途中でミスター・ダーシーに出くわす可能性だ。冗談ではない! 考えただけで顔が赤くなった」のに本当にそんなことを考える余裕があるのかと突っ込みたくなる。「恋なんてそんなものだ」と言われればそれまでだが、他の部分では鋭い描写を見せているだけに個人的には残念でならない。

 

 夏目漱石は『文学論』にて「Jane Austenは写実の泰斗なり。平凡にして活躍せる文学を草して技神に入る」と絶賛しているが、人によっては初読時の自分のように「これそんなにベタ褒めするほど面白いか……?」となるかもしれない。また題材が題材なこともあり多少なりとも読む人を選ぶ作品ではあるだろうが、この本で描かれる人間の面白さが当面変わらない点だけは確かだと自分は考える。