嶺上の桜雲

読書・デレステ・自己その他に関する日常的な思索など

当ブログについて

 このブログを始めるにあたり名前をどうしようかと考えていたところ、次の漢詩が目に入った。

 

  山中何有所  山中 何の有る所ぞ

  嶺上多白雲  嶺上 白雲多し

  只可自怡悦  只だ 自ら怡(たのし)み悦ぶべし

  不堪持寄君  持して 君に寄するに堪えず

 

 これは中国六朝時代の人物である陶弘景(456-536)の「詔問山中何所有賦詩以答」で、梁の武帝からの問いに答える形で書かれたものとなっている。「嶺の上には白雲が多いけれども自分が独りで楽しんでいるだけだから、あなたにそれを献上するわけにはいかない」と言えば聞こえは良いが、その実は武帝や俗世に対する痛烈な皮肉となっていることが窺えよう。

 

 また平安時代末期の歌僧である西行(1118-1190)が

 

  まがふ色に 花咲きぬれば 吉野山 春は晴れせぬ 峯の白雲

 

 と詠んだように、古来桜は雲に例えて詠まれること(=桜雲)が多かった。ここから両者に共通する「嶺の白雲」と自身のHNの由来でもあるこの首にちなんで、当ブログを「嶺上の桜雲」と名付けるに至ったわけだが、その意味がどういったものであるかは上記の内容からご想像頂きたい(ただし今後取り扱う題材自体はこんなあやふやなものにはまずならないはずだが)。